マレーシアは13の州と2つの連邦区からなる連邦国家である。連邦の管轄と州の管轄は憲法によって規定されており、州の主な立法事項としてはイスラム、土地、農業、林業、州休日、州法に関する犯罪等がある。サバとサラワクには、さらに原住民法と慣習あるいは鉄道といったものも含まれ、より広範な立法権が与えられている。なお、司法行政は連邦の管轄事項である。 州の統治機構は基本的に連邦とほぼパラレルな構造となっている。州政府には前述の統治者会議のメンバーであるスルタンや知事といった州元首がいる。また、一院制からなる州立法議会が、州法の制定機関として置かれ、その多数の信任を得たものが、州元首により州首相に任命され、州の内閣に相当する行政参事会を構成し、行政にあたる。 各州の公務員の最高職は州官房長(State Secretary)であり、州首相への第一の助言者である。なお、1日マラヤ連合州においては、補助的業務に従事する補佐職グループ(第1章2参照)の州公務員しか有しておらず、州官房長を含め要職は、国家公務員の出向者で占められている。 また、各州は行政区域として、さらにいくつかの郡(District)に分かれる。郡には郡事務所があり、郡長(District Officer)が置かれている。 7 官僚制の変遷
(1)イギリス植民地官僚制とマラヤ文官職 イギリス植民地時代において、植民地行政の中心的役割を担ったのは、マラヤ文官職(Malayan Civil Service)と呼ばれたイギリス人高級官僚であった。東インド会社社員のインドにおける無法な私的蓄財行為を防止するため、職務を誠実に遂行する官吏を必要としたイギリス政府は、1793年に誓約文官職(Covenanted Civil Service)という制度を開始し、マラヤにおける植民地行政も彼等によって行われた。誓約文官職の任用は、当初東インド会社の取締役会の縁故による任用であったといわれるが、1853年からは、公開試験が導入され、さらに、1896年からは、イギリス本国、セイロン、香港、マラヤの文官職を統合した公開試験により、成績順に本人の希望により配属が決められるようになった。なお、誓約文官職がマラヤ文官職と呼ばれるようになるのは1919年以降である。 (2)マレー人官僚の登場 マラヤ文官職を補佐し原住民たるマレー人との連絡役となるマレー人官吏の必要性が生じ、1910年にマレー行政職(Malay Administrative Service)が創設された。マレー行政職には、主に、王族、貴族等マレー人支配階層の子弟のためのマレー・カレッジから採用されたが、そのポストは郡(district)や区(sub−district)に限られてお
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